母親の私が病気を抱えての育児体験記

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私は、パニック障害という病気を抱えたまま、娘を出産しました。

私がパニック障害になったのは22歳の時、たくさん薬も飲みましたし、

結婚も出産も諦めていたところもありました。

しかし、主人と出会い、主人にその機会を与えてもらいました。

妊娠中から、薬をやめなければいけないことで、薬への半減期からの副作用もあり、

悪阻もひどくなり、2週間の入院をしました。

その後も退院したものの3ヶ月はほぼ寝たきり状態。

なんとか起き上がれるようになってもつわりは続き、出産するまでつわりに悩ませれました。

その後も、またパニック障害の症状は出てきました。

しかし、薬で押さえればなんとか生活できていたやさき、

娘が2歳の時に今度はバセドウ病にかかりました。

動悸や疲労感、イライラ感で家族に当たり散らしたり、

いくら食べても、下から出てしまい、痩せる一方。

そのうち目にも症状が出てきてしまい、いつも目を見開いているような状態になり、

写真に写ったりすることがとても嫌になりました。

イヤイヤ期の娘を抱えての育児は大変でした。

公園にいきたい娘を頑張ってつれていくと、そのあとは娘とお昼寝。

もう1日起き上がれないくらいの疲労感を抱えながらの育児でした。

時には、イヤイヤする娘に当たってしまうこともあり、

それをしては自己嫌悪の毎日でした。

主人もそんな私をどうしていいかわからず、困り果てていたときもありました。

その間もパニック障害の症状も継続しており、

外出するたびに、薬を服用しながら、動悸や吐き気との戦いでした。

バセドウ病の症状は薬で徐々に落ち着きを見せたものの、

そのせいもあって、引きこもりになっていっていた生活に、

今度は薬を飲めば電車や外出ができたことが、難しくなってしまいました。

でも、娘の成長は待ってくれず、幼稚園、小学校と成長ステージもその都度変わっていきました。

私は、なるべく参加したいという思いから、

必ず家族のバックアップをたて、行事の参加に励みました。

けれど、どうしても無理なときは、家族に参加してもらい、

娘が一人にならないように、かわいそうな想いをしないように、家族に便りながらの育児でした。

時には一緒に参加してもらったり、幼稚園の前までついてきてもらっては、そこで引き返したりもしていました。

夫や祖母はもちろん、妹にまで行事に参加してもらったことがあります。

現在の状況はエビリファイとソラナックスを飲みながら、

家族ともになら、電車で遠出もできるようになりました。

ただ、なかなか一人で移動ができないので、パートに出ることができません。

家のなかではいたって普通のため、時間をもて余す毎日です。

早く自分で移動できるようになり、働きに行くことが今後の私の目標になっています。

それと、子供にいつ私の病気をきちんと伝えるかが、今後の課題です。

今は、体調がわるいと「お腹がいたい」とか「頭がいたい」とかでごまかしてますが

精神的な病気ということは、まだ理解していません。

というか、精神的な病気を理解することが、いつになったらできるのかも疑問です。

精神的な病気は偏見も多くどうやって、伝えるかが今後の育児の課題となっています。

今は娘はこんな母親の私でも、すくすくと大きく成長し、

私が体調が悪いから代わりに、おばあちゃんが行くよと言っても、

わがまま言うことなく素直に育っています。それが、私の救いでもあります。

娘が嫌な想いをしないように、私が精神病であることで揖屋な想いをしないように、

成長できるように私は全力で子育てをしていくつもりです。

そして、1日も早くこの病気から回復できるように頑張りたいと思います。

そのために、日々努力していこうと思います。

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